みなさまは「努力」と聞いてどのようなものを想像されますか?
キツイ、苦しい、しんどい。
こんな感じでしょうか?
僕の大嫌いな「努力」についてのお話です。
大人でさえ努力は知らない
みなさんの中には努力をしなさいと小さい頃から口酸っぱく言われて育った人がいる事でしょう。
ですが大人は努力の仕方を教える事はほとんどありません。
それは単純に大人が努力を知らないだけ。
スポーツでも勉強でもそれは同じ。
努力を知らない大人が努力がなんなのかを教えられえるはずがありません。
努力とは変化するものであって目的にするものではない
努力をすることが目的になってしまう環境は危険を伴います。
結果が出なかったことを正当化してしまう恐れがあるからです。
さらに「努力が足りない」という安直な思考に陥ってしまいます。
それは既に負けなのです。
勝者は無意識に努力を継続する
努力をしているつもりはないというがそうではない。
努力をしていると思えないほど生活の一部に擬態しているのです。
他人からも努力しているようには見えない程度が理想的。
それが継続の正体である。
本当の努力とは
我々は漠然とした努力を否定します。
努力とは仮説を立て、テストの繰り返しの末に導き出された数字をもとに行っていくべきものなのです。
そして生活の一部に擬態させ他人にも自分にも認識すらできないほどに小さくするのです。
体や金銭、生活に支障が出てきた時点でそれは「努力」ではなく負担になります。